【社会批判】無能な味方は敵か

楽しく明るい記事のモットーはどこにやったの


好きな事で、生きていく_______________。

伊抜きちゃんも、"深み"、出しちゃおっかなって。

発端


先日、Twitterでこんな事が話題になりました。

概要: ある飲食店で、特注の食器(ピック)が持ち帰られる事案が多発。店主は持ち帰られる想定ではなかったと不満を漏らし、擁護派と批判派が揉めた。

いきなり思想を入れてしまいますが


悪意をもって害を成す人間は少数派であり、多くの害は人間の能力不足によって生じると考えています。言い換えれば、なにかトラブルが起きるとき、その原因が明確な悪意であるケースは少なく、不注意や不得手などの過失に事を発するケースが多い、ということです。

この思想の正しさを議論する気はありません。今回は前提とします。

この考えに当てはめるなら、今回のケースでも、持ち帰りの大多数は能力不足、つまり「持ち帰って良いものと思っていた」「よく分からないので持ち帰った」といった判断に起因すると考えられます。

気に食わなかったこと


では、持ち帰りが能力不足によって引き起こされたとして、何が気に食わなかったのか。

それは、能力不足を責め、攻撃する行為です。

能力不足を責める、あるいは能力不足を責める議論によって解決を図る道は、いささか遠回りです。それどころか、誰にとっても気分のよいものではないとさえ考えています。

身近なケースで例を出しましょう。

例えば、金銭不足を発端とする家庭内の言い争いは非常にありふれています。購入したいという欲求に対し、稼ぎ手の収入が応えられない場面です。

では、なぜ稼ぎ手の年収が現状に余裕を持てない程低いのか。

悲しいことに、「稼ぎ手の能力がより優れていれば問題は起きなかった」という論は否定できません。しかし、この問題に直面した際、稼ぎ手を責めて何が生まれるでしょうか。何も生まれないどころか、ストレスの発散にすらならないでしょう。

他の例えとして、チーム戦の競技が挙げられます。

なぜそのチームが目標とする成果を挙げられなかったのか。先と同じ議論になるため、省略します。

色々な問題があり、その背景には複雑な事情があります。本人の力の及ばない事情が多いことも事実でしょう。ですが、それら問題のほとんどが、「より能力が優れていれば問題は起きなかった」という論を否定できないことも事実なのです。そして、なにより、殆ど全人類が、そういった問題の無能側に立っている筈です。

こういった事を脳裏に浮かべながら今回の議論を見ると、能力不足を責める行為そのものが行われるべきではない、という気分になりました。

無能な味方は敵ではないのです。ただし、被害は出します。つまり、能力不足そのものが一種の悪性を持つ。そして、誰だってなにかしらの点で無能です。画面の前の俺も無能。一億総無能社会。人類は愚か。ですから、そこに明確な悪意が無いのならば、極力人を責める行為はせず、構造に責任転嫁した方がよっぽど気楽です。

オチ


結局はこの文章だって議論を行った人を批判している訳です。

なにかを批判するために、自身はその点について完璧であろうとする行為は、必然的に失敗に終わります。

一億総無能とか書いて、誰が喜ぶのでしょうか?伸びしろが凄いって書いたほうが良かったかな?俺は、人の可能性を、信じてる_______。そういや伸びしろってのりしろと似てるよね。のりしろマジで聞かなくなったなぁ。ブーム終わったのかな。のりしろって小学生までにしか聞こえない単語だったりします?モスキート単語だ。

そんなこんなで、暗めの文章は書きたくなかった訳ですが……

好きな事で、生きていく_______________。

気がついたら消えている記事かもしれません。見れてラッキー!ウヒョ〜!隠れ伊抜きちゃん見ッケ!!!!!!!!!


読んでくれてありがとう>ヮ<

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